奇跡の大逆転5

「朝起きて、新聞を見るとどの新聞にも、倉工が負けると出ているんです。8対2ぐらいですかね。
分が悪いと。それらの新聞を見て、試合はやってみないとわからんじゃろうが、と。野球は、強い方が必ず勝つとは限らないし。また、弱い方が負けるとも限らないし。それで、甲子園へ行けるか行けないかと言う最後の試合なんで、一発勝負すると面白いだろうなあと。その新聞記事に反発した様な感じでやりました。」と、語るのは成長著しい急造投手の永山。
実は、36年の倉工は、ある秘策を用意していたのである。その秘策とは、相手チームが予測出来ない事をやるんだ。と言うものである。そのために県外のチームとの練習試合で何回もテストを実施。ただし、中国地区のチームとは実施せずにいたのだ。いつやるか、どこでやるか。
それは「ここ本番で、1点のみと言う時に一発で決めるんだ。と選手と申し合わせていました。」と監督小沢の言葉にも気合いが入る。
昭和36年7月31日 鳥取県公設野球場 東中国大会決勝 対岡山東商
倉敷から、多くの応援団が鳥取へと向かった。試合は、倉敷工 永山、岡山東商 岡本の先発で好ゲームにはなったが、やや倉工が押し気味でもあった。
7回表、倉工の攻撃。二死(一死?)ランナー一塁、三塁のチャンスが来た。
「ここだ」 ベンチのナインもわかっていた。「ここでやるんだ。ここしかない。」自然と握りこぶしに力が入り、戦況を見つめるナイン。その時だ。小沢からサインが出た。
「行くぞ 今だ 行け 走れ」 「よっしゃあー」 見事に秘策が成功。その瞬間ナイン全員がガッツポーズをして、ベンチを飛び出した。また、三塁側倉工応援団も全員がガッツポーズをして湧き立った。その秘策とは、Wスチールだったのである。
小沢の奥深い戦術。先を見越した作戦。結局このWスチールが勝敗の決め手となり、3対1で勝利。春夏合わせて6回目の甲子園出場。2年ぶり3回目の夏の甲子園出場となったのである。松本が泣いた。全員が抱き合って泣いた。
「これで甲子園に行ける。森脇を連れて行く事ができる。」と。
外野手の土倉は「森脇を欠いた中で、ここまで来たのだから、どうしても と言う気持ちが、東商さんより上回っていたんではないかと思います。」
主将の松本は、「全員が大舞台のマウンドへ、と言う思いで戦ったことで、実力以上の力を生んだ。」と涙。
誰かが、松本に声を掛けた。「良かったなあ、松本」。
新聞には、「狂喜乱舞の倉工応援団」「東中国代表に倉敷工」「チームワークの勝利 小沢監督」と出た。舞台は整った。行くぞ夢舞台。大甲子園へ。
森脇と共に。

つづく   随時掲載

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事を、ご了承下さい

参 考  瀬戸内海放送     番組「夢 フィールド」

      OHK岡山放送   番組「旋風よふたたび」

      山陽新聞社         「灼熱の記憶」

協 力  岡山県立倉敷工業高等学校 硬式野球部OB会

コメントを残す